名をポン吉という。
彼は、96年の春、信楽からわが家に来た。
値段は忘れたけれど、3000円はしなかったと思う。
器を見るのが好きで、気に入らないと絶対買わない私達夫婦の食器棚はとても寂しいものだった。友達の家などにいくと大抵たくさんの器があって、家に戻るとちょっと恥ずかしくなる時もある。だからといって妥協はしないぞ、それなら信楽で気に入ったものを買うのだ、そう決心して行ったのが始まりだった。以来、春と秋には必ず行く。
それでも気に入らなければ買わないので、なかなか食器棚の中は揃わない。
最近食器棚の中でハバをきかせてるのは祖母の作ったものが多い。
岡山に住んでた1年半、よく器の店を見て歩いた。その頃は備前焼はあんまり好きではなく、信楽焼きばかり見ていた。今思うと本当に残念というか罰当たりというか・・・。大阪に来るとそういう店は少ない。知らないだけかと思い、大阪生まれ大阪育ちの人達に聞いてみても、わからない。せいぜい百貨店である。道具屋筋も紹介されたが、行ってみて、面白いとは思ったが、正直言ってガッカリした。二度と行く気はしない。他に教えてもらった店も幾つかあるが、絵柄のある器ばかりで、なんだか偏っていたように思う。
さてポン吉である。庭の隅っこで、いつもへらへら笑っている。
春になると雑草のようにポピーが咲く場所で、すでに少しづつポピーに囲まれつつある。ポン吉が来て、運が向いてきたかどうかはわからない。そろそろ3年だが、その間いろんなことがあった。でも現在私も旦那も元気で、仕事もあって、良い友達もいて、両親達も元気で、ハムも元気だから、それらをポン吉効果と言えば言えなくもない。
引っ越す時は、太郎達のお墓の鉢と一緒にポン吉も引っ越す。きっといつもどこか庭かベランダの隅っこでへらへら笑うポン吉がいる。全然オシャレではないが、それが私が思う未来予想図の一つである。



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