この画像は、3/28に、とあるデジカメで写したものである。
場所はうちの庭。うちのハム達が眠る、鉢である。

うちには庭がある。庭があるが、賃貸だから、いつまで住むかわからないのでハム達を庭に埋葬するわけにはいかない。私達が引っ越したら、当然一緒に引っ越したいのだ。私達夫婦がいつまで一緒にいるかわからない。離婚するかもしれないし、しないまでも別居するかもしれない。仲良く老いたとしてもどちらかが先に死ぬだろう。離婚しても別居してもどちらかが先に死んでも、私か、あるいは旦那は、この鉢とずっと一緒なのだ。私達のどちらかが生きている間だけのお墓ということである。
お墓ってなんだろう。その人を覚えている間、その人を覚えてる人が通って綺麗にしたり、お参りしたりする場所。代々受け継がれれば代々お参りする。私はどこで眠るのだろう。

最初は太郎だった。次は長ちゃんで、そして玄太、五右衛門と、この中で眠っている。埋める時はおやつや、ペレットや、大好きだったものを一緒に埋めてあげる。
ある日ふと気がつくと、こんな芽が出ていた。旦那やTさんに聞くとどうやらひまわりらしい。
・・・誰といっしょに埋めたっけ?芽が出そうなものは避けてたつもりだったのだが。おかしいな。
この鉢は、岡山の友人の母上様から頂いた。レモンが植えられていた。岡山から大阪に転勤し、結婚するまでレモンはとっても元気だった。結婚し、庭に置いているうちに霜にやられたのか、だめになってしまった。
その岡山の友人の家にはたくさんの花があった。春になると黄色の連翹が、こぼれんばかりに咲いていた。春になると必ず思い出す花の一つである。
もう一つは、高速道路沿いによく咲いている蘇芳である。高専在学中の5年間、一ヶ月ほどの春休みが終わると実家から父の車で津山に向かう。家とは不思議なもので、津山にいる時は家に帰りたいのだが、家の玄関を開けた途端、津山の自分のアパートに戻りたくなる。ふるさとは遠きにありて思ふもの。意味合いは少し違うかもしれないが、そんな感じである。
津山といえば桜が有名で、鶴山公園の桜も、学校にあった枝垂れ桜も本当に綺麗だったが、私の中の津山の春といえば、父の車の窓から見た、高速道路沿いの、蘇芳である。



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