2003.6.07...夫用。

2003.6.07...私用。



最後の作品と銘打ったが、祖母はまだご飯を食べたり手遊びをしたりすることはできる。
できるが、もう、陶芸はできなくなってしまった。
5月半ば父の緊急入院と祖母の体調不調の知らせがあり、すぐにでも帰りたかったが出来れば夫と帰りたかったので夫が仕事を休める6月になってやっと帰ることができた。
父は思ったよりも悪くはなく、私たちが戻っていた間に外泊許可を得て自宅に戻ってきた。病院に戻った翌日からは別の治療が始まるので当分動けなくなる。その前だったのでちょうどよかった。秋には退院できるだろう。
祖母は私の実家に引き取られた当時、といっても6、7年前のことなのだがその頃はいつどうなるかわからないから、いつでもお葬式に帰れるよう準備をしておきなさい、と母に言われ、たまに帰ったときなど出来るだけ祖母との時間をもとうとしたものだったが、当時寝たきりだった祖母は帰る度に元気になっていった。白髪だらけの髪の毛は根元からどんどん黒い毛がはえてくる。オムツも時間の問題といわれていたのに、夜の間だけ寝室におかれたオマルの始末も、翌朝の祖母の日課になっていた。いつの間にか陶芸を習い始め、帰省するたびに祖母の作品をもらって、次なる作品の注文もするようになった。耳だけはどんどん遠くなり、会話だけはどんどん大変になっていったが反比例するかのように体はどんどん元気になっていった祖母。
しかしとうとう、ほとんど寝たきりになってしまった。
あれほど食事の時間をきっちり守り、食卓の自分の場所にちんまり座って食事を待っていた祖母も、夢うつつの状態が長くなり、流動食のような食事を摂るのに30分以上かかる状態である。あれほど大好きだったお酒も、もう、飲めない。
しかし簡単な会話なら、補聴器なしで出来る。耳、よくなってきたの?どうなってるの?

これは倒れる前に作ってくれた、祖母の最後の作品。
これから奇跡の復活でもとげない限り、もう陶芸は無理だろう。
注文したものとは少し、いやかなり、本当に大きく違っているが、おばあちゃんの好みが大きく左右する世界だから仕方ない。
それでも私と夫のために作ってくれた最後の作品。
大事に、大事に使わなきゃ。



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